地球

太っていると、街を歩いていて見知らぬだれかに馬鹿にされてクスクス笑われたり、
心無い人に、わざわざ聞こえるような声で体系について批判をされることがあります。

私なりの対処方法

私はそういう場合、
『あの人は明日死ぬ可哀想な人なんだ』と思っています。

明日死ぬのだから心に余裕が無くて、人の心を傷つけるようなことを言ってしまう。
明日死ぬのだから今の発言は聞かなかったことにしてあげよう。
こんな具合です。

これは何にでも応用できます。
たとえば駅で大きなカバンをバシン!とぶつけて謝りもせずにスタスタ行ってしまう人。

あの人は明日死ぬ可哀想な人だから、1分1秒が惜しくてああやって脇目もふらず歩いているのか。
なら仕方ないな、許してあげよう。
こんな感じです。

立場が違えば見えるものも違う

一見、暴言を吐いた人が悪い、人にカバンをぶつけて謝らない人が悪い、
そう言っているような文章にとらえられてしまうかもしれませんが実は少し違います。

こんなお話をどこかで読んだ記憶があります。

ある駅で父親と二人の男の子が乗ってきた。
子供たちは社内を走り回ったりつり革をいじったりと大騒ぎ。
父親は注意もせずにボーッとして席に座っているだけ。

周りの人間はみな一様にイライラを感じている様子。
一人の男が耐え切れず、半分切れ気味で父親にこう言った。
『なぜ子供たちに注意をしないんですか?!』

父親はこう返事を返した。
『ああ、すみません…、いまこの子たちの母親が病院で亡くなったばかりで…』
『私もこの子たちもどうやって心の整理をしたらいいのか…』

怒りで注意をしたはずの男性は一気にその熱が冷め、何も言えずにうつむき、
まわりの人間もイライラしながら睨んでいたものが、憐みの目に変わった。

というお話です。

悪者はいない

おそらくですが、このお話の教訓は、
何が正しくて何が間違いなのかは二者択一で決めることはできない。

一見悪いと思えることでも、
その人の立場になってみると止むに止まれぬ事情がある場合がほとんどである。

だから自分と違うもの、
自分の納得のいかないものだからといって真っ向から否定するようなことはやめよう。

そういうことだと思います。

一番最初の話に戻すと、私に心無い暴言を吐いた人間にもそれだけの事情があるということです。
だから私はそういう人に止むに止まれぬ事情を付与して考えるようになりました。

もちろん人の言葉なんて気にしないのが一番です。
もし気になって自分の気持ちが落ち込んでしまうという人は、
このお話を教訓に、誰も悪者にしない解決方法を探してみてくださいね。

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